井端選手残留!

今年はチームの調子が上がらずもやもやしたシーズンになっていますが、久しぶりにうれしいニュース。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080302000086.html

中日の井端弘和内野手(33)が3日にフリーエージェント(FA)権を取得する。だが、オフを待たず2日までに結論を導き出していた。球団が胸をなで下ろし、竜党が歓喜する残留宣言−。井端の流儀「巧」。第6回は決断への真相を激白した。 (取材構成・渋谷真)

 結論 この記事をみなさんがお読みになるころには、ボクはフリーエージェント(FA)の権利を取得しています。厳密には午後5時までに出場選手登録を抹消することができるのですが、この通り元気でいますのでそれはないと思います。権利を取得したということをお話しする前に、ファンのみなさんにボクなりに出した結論をお伝えします。

 残留です。来季もドラゴンズでプレーします。おそらくは権利を行使せずに、という形で球団と契約させてもらうつもりでいます。理由? ボクは中日ドラゴンズで育ててもらったことを誇りに思っていますし、名古屋のファンに育ててもらったと思っているからです。

 FAとは? ボクは野球選手の『成績表』みたいなもんだととらえています。ただし小学生、中学生は必ずもらえますが、野球選手はこの権利を取らないともらえないんです。望めば(宣言すれば)、自分がどう評価されているのかがわかる。でも、現実には成績表をもらって、評価を知って、それだけってわけにはいかないですよね。そりゃボクも選手ですから、高く評価されたいし、それを聞いてみたい思いはあります。かといって、聞くためだけに手を挙げるのは…。さっき書いたように、気持ちは固まっているわけですから。

 危機感 今にして思えば、FA権を得るまでになれた『バネ』が99年、そして『原点』となったのが00年だと思います。2年目の99年。チームが優勝した99年(注1)。ボクは1軍の試合に1度も出ていません。元気だったのに、です。ほかの連中が次々と上(1軍)に呼ばれるのを見て、正直「ヤバい」と思いました。そのオフ、同期がクビを切られました(注2)。2年で、です。「来年も同じようなら、次はオレだ」。真剣にそう思いました。

 逆襲の3年目 ボクたちを切るのなんて、簡単なことです。でも、そう思ったら次の年は逆に気持ちは楽になったんです。「悔いのない1年に」。だからなにをやってもきついとは思わなかった。その代わり、ケガをしないようにとか、セーブしてとかは一切なし。ダメでも1年。体が壊れても1年。それなら、とことんやってやろうと。守備固め中心でしたから、誰がケガしてもいいように休みはすべて返上でやりました。

 今にして、ですよ。今にして思えば99年に1度でも1軍へ上がっていたらどうなんだろう。上がらなかった分だけ、悔しさがあった。その方がよかったかなとも思ったりします。クビを覚悟したところから(00年には)100試合近く出ることができました(注3)。01年にはレギュラーでフル出場。まずはそこに満足していました。結果にこだわったのは02年からです。

 こうした過程は、すべてドラゴンズと名古屋のファンに育ててもらったからだと思っています。だから、井端弘和はドラゴンズに残ります。ちょうど3日からは後半戦も始まります。苦しい戦いですが、全力で巻き返そうと思っています。これからもご声援、よろしくお願いします。

さすがだよ〜。どっかの福留とは大違いだよ〜。

年齢的なものもあるでしょうけど、こういう言葉を聞くとやっぱりうれしいですね。
しかもFA宣言→残留ではないところに好感が持てます。