2012ロンドンオリンピック、サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の引き分け狙いについて

*かなり冗長になってきたので、編集しました。
*タイトルについて
今回「引き分け狙い」という言葉で書いたんだけど、例えば実力の劣るチームが、強豪チーム相手に勝ち点1を狙ってオフェンスは犠牲にしつつ守りを固めてスコアレスドローを狙う、というのと、実力で優るチームが、攻撃の手を緩めることで(わざと点を取らずに)引き分けに持ち込む、ということの間に、自分としては大きな違いがあると思います。ここで「引き分け狙い」と書いた場合、後者を指します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120801-00000098-mai-spo&1343834245

各ペアは、すでに準々決勝進出を決めていたことから、組み合わせが有利になることを狙い、勝利を放棄するようなプレーを続けた。サーブをネットに向けて打ったり、わざとアウトになるように打ったりする場面があった。また勝った韓国も処分対象になった。

わざと引き分けたなでしこの行為と、これらの行為の差は何だろうか?
最終目的を達成するための戦略として認められる行為だろうか?
負けるのはダメで、引き分けるのなら許されるのだろうか?
賛否両論だろうが、正直自分の中でも結論はでない。
特になでしこに関しては、自分が好きで、応援しているチームだけに客観的な判断が難しいところがある。
一つ確実にいえることは、テレビで見てて寂しい感じがしたことだけ。

サッカーの場合は、点が入りにくいスポーツということもあり、バドミントンに比べて、実力差があっても0-0や0-1という形で、実力上位のチームが勝てない、ということが起こる可能性が比較的大きいスポーツである。なので、仮に点を取らないという行為を行なったとしても、そこまであからさまな感じにはならない。こういう行為は表沙汰にならないだけで、実際は多く行なわれているのかもしれない。

今回、バドミントンの場合はかなりあからさまで、その点「印象」は全然違うのだが、これは競技性の違いにも起因するし(サッカーはあからさまにしなくても可能)、やってることの本質は、
「最終的な目標を達成するために、消化試合で勝利を目指さない(勝ち点を意図的に放棄する)」
ということで、これが「あり」なのかどうなのか。

なでしこと、バドミントンのケース、一緒だ!という人もいれば全然違う!という人もいる。今回のことについてもう少し細かく分けて検討してみると、結局どのレベルで考えるかで、意見の相違があるのではないかと思う。

(1)最終目標のために、戦術として、あえて2位を狙うのは
 →問題ない
 →問題だ。すべての試合で全力で勝利を狙うべきで、2位狙いで勝ちを狙わないことは駄目だ。(ア)

(2)あえて2位を狙うために勝ち点を捨てることが認められるとして
 →もちろん、意図的に負けることも許される。(イ)
 →いや、意図的に負けることは許されない。意図的に引き分けることは認められる。

(3)引き分けを狙うことだけが認められるとして
(ここで引き分けを狙うというのは、前に書いたとおり、実力の勝るチームが勝ち点を調節するために引き分けを狙うことをさす)
 →1−0で勝っている状態で、他チームの結果を見て、意図的に失点して引き分けにすることもあり(ウ)
 →意図的な失点を伴わないケースでだけ認められる(エ)

勝ち点調節といっても、いろんな形が考えられる。

(ア)の立場はある意味わかりやすい。とにかくすべての試合で勝ちを目指して戦うべきだという考え方。
(イ)の立場は最終目標に徹するドライな考え方で「勝つ(最終的な意味で)ことが全て」であり、ルールさえ破らなければ何をしてもいいという考え方。これも立場としては明確でわかりやすい。
(ウ)は「意図的に負ける」ことは許されないが、意図的に失点することは構わないという考え方で、あまりいない考え方であるが、ネットで意見を見る限り、引き分けだったからOKという考え方もあり、突き詰めるとこういうことになる意見も散見される。
(エ)は意図的に負けることは許されないし、結果引き分けだとしても、意図的に失点しての引き分けは駄目だとする考え方。意図的に失点することを重要視する。

意図的引き分けだからOKの立場には、負けるのと違って、引き分けを狙うのは守る必要があるから少なくとも守備の面でしっかりやる必要があるのだから、意図的に負けるのとは全然違う。という意見がある。たしかに、失点できないパターンでの引き分け狙いならその通りである。ただ、この場合、意図的に失点することで引き分けに持ち込むケースをどう考えるのかをはっきりする必要がある。

また、「意図的な失点がなかったからなでしこはOK」という考え方では、以下のようなケースをどう考えるかも問題となる。(きちんと戦った結果として後半30分まで0-1で負けている状態で、他会場の状況から判断してこのまま負けたほうが後の展開が有利になる、という判断から、このまま負けることを選択し、あと15分はシュートを打つことを禁じる。意図的な失点は無いが、意図的に勝ちを捨てるケース)

また、リーグ戦での勝ち点調節を認めつつ、引き分けるケースにだけ限定する考え方は、競技によって勝ち点調節の妥当性が異なることを意味する。引き分けがあるサッカーでは、認められるが、もちろんバドミントンでは認められないことになる。

今回なでしこは意図的な失点を伴わず、攻撃を放棄することで引き分けという結果を手にした。一方バドミントンでは意図的な失点の応酬となった。決勝トーナメントの戦い方を考えて、意図的に勝ち点を捨てたという意味では同じである。ただ、バドミントンでは勝ちか負けしかなく、「意図的に敗北する」という形でしか勝ち点調節ができないために、勝ち点調節としては(演技的な意味では、もう少しやり方があったかもしれないにしても)ああいう形しか方法が無い。
一方、なでしこは、「守りきった形での意図的引き分け」であったため、「戦術」の範疇と捉えることも可能との見方から、理解が得やすかったのではないか。
ある意味では同じであるし、ある意味では全く異なるという考え方が出てくるのも、理解できる。

ただ、なでしこのやったことと、今回のバドミントンのチームがやったことと、根本的に何が違うのか?と考えるとなかなか説得力のある答えは出てこないのが正直なところ。なでしこはOK、バドミントンはNGの立場に立つと、なでしこにOKを出す以上、「リーグ戦での勝ち点調節は認める」ということになるが、そのうえでバドミントンはNGというからには、勝ち点調整自体は問題なかったが、意図的敗北、ないし意図的失点があったからNGになる、若しくは演技的に下手だった(あからさま過ぎた)からNG、ということになるが、そうなるとバドミントンという競技が、そもそも得点(逆にいうと失点)でしか試合が進まず、時間が来れば試合終了で、引き分けもある、という競技ではない以上、勝ち点調節自体はありとしても、その有効な方法は無い。という結論になる。今回は、それを強引にやったからバドはダメだった。ということになるのか。

なでしこは、意図的に引き分けたからOKで、バドミントンは意図的に負けたからNGなのか。
なでしこは、意図的に失点したわけではないからOKで、バドミントンは意図的に失点したからNGなのか。
なでしこは、うまいことやったからOKで、バドミントンはあからさますぎたからNGなのか?
サッカーだったからOKで、バドミントンではNGなのか?

結局「やり方」の問題だったのか?
もっと根本的な問題なのか?

結論の無い無責任エントリで申し訳ない・・。
結局のところ、これはルール上、という問題ではなく、スポーツマンシップとか、フェアプレー精神とか、ある意味、哲学的問題であって、どちらが正しいと一概に言えるものではないのは確かだろう。
スポーツとは何か?という根源的な問いにも通ずる。そういう意味で高校野球における、連続敬遠の是非、という最近話題のテーマにも一部、通ずる部分がある。

なでしこジャパンを応援する立場からは、今回なでしこは、負け狙いではなく、引き分け狙いだったこと、試合の頭からではなく、最後の方になって引き分け狙いにしたこと、意図的に失点をすることで引き分けを得たわけではないこと、サッカーにおいて、引いてボールキープするという作戦は、失点しない、無理をしない正当な作戦として成立する場合があること(今回の意図とは違うことは監督の発言から明白ですが、そう理解することも可能という意味で。)、等々から、問題にはならんのかなという気はします(それでも監督の「すばらしいシュート打たないように」発言が事実ならまずいが、それは川澄選手が上手くフォロー)。

まあ、オリンピック精神というか、スポーツマンシップというかそういう意味ではやっぱり引き分けを狙ったと公言するのは誉められたもんではないでしょうね。一方で、勝利が大事なのもわかるので、そこは上手いことやって欲しかったというのが本音でしょうか。わざわざ引き分けで構わないと指示したと公言するのは相手に対しても失礼かな。監督としては選手に批判が向かないように、全ての責任を自分がとる、という意味でしたことでしょうけどね。