光市母子殺害事件について

以前、このブログ上で以下のような記事(線で囲んであるのが前回の内容)を掲載しました。(2007年6月28日)あれから日がたち、事実関係や関係知識をネット上で調べるうち、考えを変える部分もありましたので前回の記事をもとに今の考えを再度綴ってみたいと思います。

ところで、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し審が行われているようで、ニュースなどで目にします。
この事件で私は本当にいろいろなことを知りました。
被告人についている、あのような主張をのうのうと行う弁護士がいること。
自らの目的(死刑廃止)を達成するために事実を捻じ曲げてでも死刑を回避しようとしているように見える。
もしそうならば、許されないことであり、死者を冒涜するのもいい加減にして欲しい。
この裁判を死刑廃止論を盛り上げるための道具としてアピールしているようだが、今のところ完全に逆効果になっているところがせめてもの救いである。

まず、弁護団が「死刑廃止論者である」という事実と、「裁判で死刑廃止を訴えようとしている」という2点は私の事実誤認であったようです。弁護団の中には死刑廃止論者の人もいるが、死刑存置論者もいるという情報もありますので、「テレビでそういっていた」という事実だけで一方的に決め付ける姿勢はとらないでおこうと思います。また「裁判で死刑廃止を訴えている」という客観的な事実も認められませんので、これも主張しません。要するに私はこれを書いた時点でテレビのワイドショーか何かで見たままを「事実」と受け止めて文章を書いていたのであり、妥当とはいえません。

しかし、なぜこのような気持ちに至ったかについては客観的に分析できます。
1.最高裁無期懲役の判決を差し戻した時点で、死刑の公算が強まる
2.そのタイミングで弁護団が入れ替わり、主張が大きく変わる。

これを私は、「最高裁無期懲役を差し戻され、よっぽどのことが無ければ死刑を回避する理由は無いといわれ、(死刑の公算が高まったところで)急に、大人数の弁護団が(手弁当で)集結し、死刑を回避する理由を探すのではなく、事実をひっくり返して傷害致死だから死刑は無いと主張しはじめた。」ととらえたのでした。
そこにワイドショーやニュースでの、「弁護団死刑廃止論者」「法廷に死刑廃止運動を持ち込んでいる」という情報もあいまって当初のような文章を書くにいたったのです。つまり「殺人罪では死刑を回避できないから、回避するために事実を捻じ曲げてでも傷害致死を裁判所に認めさせる。そうすれば結果、死刑は無い」というつもりで弁護していると思ったのです。そしてそれは法廷に死刑廃止運動を持ち込むことと変わりない(法廷で実際にそれを叫ばなくても)と考えたのです。

ですが、弁護団が被告人に事実と違うストーリーを語らせているという客観的な証拠もないので、被告人が新しい弁護団になって初めて本当のことを言い出した(もしくは新しい弁護団が被告人の真意を汲み取った)とすれば、弁護団は被告人の主張を代弁しているに過ぎず、弁護団を批判する理由は無いことになります。

殺人罪では死刑以外ありえないから(最高裁無期懲役を差し戻したからにはそれ以上の死刑以外考えにくいということで正しいのでしょうか。)強引に傷害致死に持っていく。もしくは精神に異常があったふりをしようとしている。今頃、荒唐無稽なロジック(ですらない)を持ち出すという卑怯さ。

荒唐無稽な主張に違いありませんが、被告人がそういったなら、弁護人としてはそのまま主張するしかないのでしょう。(被告人の不利益にならない限りは)
1,2審からこの主張だったなら、非難されるのは被告人だったでしょう。しかし弁護団が変わったタイミングで主張も変わったので、「弁護団が一枚かんでいる」という憶測を呼ぶことになりました。今でも疑念はぬぐえませんが「言わせている」という証拠でもない限り、これをもって弁護団を非難することは出来ません。弁護人として当然のことをしているだけということになります。

遺族の本村さんの気持ちを考えたことがあるのか。被告人の弁護人が被害者の気持ちを考える必要がなどないというならそうかもしれない。ただ、被害者は確実にそこに存在するのであり、それを無関係に裁判が行われるわけではない。弁護人も「人間として」最低限のモラルをもって裁判に臨むべきだろう。

この文章については特に考えは変わらない。しかし、被告人の弁護士が、被害者の気持ちを考えることを重視して被告人の利益を損なうような弁護を行うことは不可能であり、あってはならないことであるということを新たに理解しました。
たとえ荒唐無稽なことを被告人が言ったとしても、それが裁判上、重要なことであれば(それこそ殺人罪傷害致死の判断をわけるような)それは法廷で主張するしかない・・。それがあまりにふざけた内容でいたずらに被害者の気持ちを踏みにじるものであると裁判所が認定すれば被告人に利益はないでしょう。それは裁判所が判断することであって、「これは被害者の気持ち傷つける内容だ。こんなことはとても裁判で主張できない。」というような判断を弁護士がすることは無理でしょうし、してはいけないでしょう。(自分が刑事裁判の被告人になったらと考えてみれば納得できるかと思います。)ただ、裁判以外の人としてのマナーといった部分は十分に配慮してしかるべきでしょうね。

事件自体を荒唐無稽なメルヘンストーリーに捻じ曲げることによって、たくさんの人を傷つけてでも死刑を回避する。それが死刑廃止論を盛り上げるために役に立つと本気で思っているならやればいい。しかし、弁護士が何をしてもいいわけでは無いことを、今回たくさんの人が知った。
弁護士としてふさわしくない人間には弁護士会懲戒請求が出来るのだそうだ。

事件自体を捻じ曲げたかどうか、わからないので撤回します。
懲戒請求制度自体を世に知らしめたという部分で橋下弁護士の行動は支持しますが、テレビでの発言が「荒唐無稽な弁護内容を聞いて不満がある人は懲戒請求しちゃってください!」ぐらいにしか私には理解できませんでした。そういう人多かったんじゃないかな。あとから「荒唐無稽な主張自体はしょうがない」って番組でもフォローしてたんだけど、最初の扇動発言で多くの誤解を招いたであろうことについては素直に訂正、謝罪があってもいいような気がするのですが・・。

懲戒請求は被告人が正当な弁護を受ける権利を奪う」などという意味不明なことを言って懲戒請求運動をやめさせようとする弁護士もいるそうだが、今回問題になっているのは「弁護士が一般の人が許しがたいと思うような手法で弁護を行っていること」についてであって、「元少年が弁護士に弁護してもらっていること」ではないのだから、論理のすり替えはやめていただきたいものである。

これは、私は当初「荒唐無稽な主張を弁護士がしている(被告人にさせている)」ということが懲戒理由になると思っていましたからこのように書いたのですが、その後、橋下弁護士も「荒唐無稽な主張をすること自体は懲戒の理由にならない」という説明をされていました。なぜ、ならないかは上記に書いたとおりですが、これが懲戒理由で無いなら、つまり「許しがたいと思うような手法で弁護をおこなっていること」も懲戒の理由にはならないということでこれも撤回せざるを得ない。
が、弁護士が一般市民の懲戒請求を抑制したり、制限したり、請求しにくくしたりする活動は慎重に行わなければならないという考えはあります。

ちなみにもし今回、最高裁で死刑以外の判決が出たら、衆議院議員選挙のときにおこなわれる国民審査で該当する裁判官を罷免するため「×」を打とうと思う。

ここも変わりません。被告人は死刑になるべきとの考えは変わっていません。私は結果を重視します。今の弁護団の主張を聞いてもこの被告人に「生きて更正してほしい」とも思いませんし、「仮に更正したとして、だからなんなの」という気持ちがあるだけです。
(*そもそも差し戻し審の判決が出たら、最高裁に上告できるのでしょうか?もうこれで終わりなんですかね。)