自責

これは私が常に自分の考え方の基本に据えている考え方であり、5年ほど前にもいろいろな悩みを抱える中、当時管理していたサイトの掲示板に書き込んだことがある考え方なのですが、昨今、改めて強く感じることです。

それは「全て自責」という考え方です。このように書くと少し大げさなのですが、何か物事を成し遂げたり、解決しなければならない状況において、全ての結果は(良い結果も悪い結果も)全て自分の行為の結果なのだということです。

まあ、物事がうまくいったときにはこんな思考は必要なく、むしろ周りの皆様のおかげと考えるべきかもしれませんね。

私がこの思考が必要だと思うのは物事がうまくいかなかった時です。要は、今回うまくいかなかったのは自分の努力が足りなかったのか、それとも外的な要因、自分では如何ともしがたい要因が原因なのかという話です。このとき私は「全て自責」と考えるようにしています。なぜなら、他に原因を探したとして自分ではどうにもしようがないからです。

ここで、全て自責と「考える」と書いたのは、実際にはそうではないことも多いからです。外的要因に失敗原因が存在する場合もあります。しかし、それでも自分の責任が少しも無かったか、と考えればそのようなこともまた少ないと思います。このような場合に外的要因について嘆くのではなく、自分ができなかった部分について省みるべきなのだということです。

もし、自分はやるべきことを完璧に精一杯やったが、外的な要因によって達成できないと判断するならその目標についてはあきらめるしかありません。だから外的な要因についてあれが悪いこれが悪いと考えること自体が無駄なのです。

大切なのは「自分に足りない部分は無かったのか」、だと思うのです。足りない部分があるなら、やはり失敗の原因は自分にあり、足りない部分を補う必要があったわけです。もし自分に足りない部分が無かったと考えられるなら、完璧にやり遂げたと感じられるなら、その目標はもはや達成不可能な目標でしょう。潔くあきらめるべきだと思います。

私は「努力すればできないことはないのだ」というようなことを言っているのではありません。何かにつまづいたとき、外部に原因を求めたくなる気持ちを抑え、常に自分の行動を省みることよって人間は進歩できると思います。そしてそれによって何かを達成することができる可能性は膨らんでいくのだと思うのです。自分ではどうにもできない外的要因を嘆いてもどうすることもできません。本当に成し遂げたいなら失敗を自分の責任と捉え、成功する為にどうすればよいかを考えるほうがよっぽど有益だと思うのです。
もし外的要因に原因を求めるならばその外的要因が変わるまで自分の目標は達成できないことになってしまいます。そんな人生はつまらないじゃないかと思うのです。


■これを書いた後、当時書いた文章を発見しました。書いたのは2002年3月でした。4年以上も前ですが、ほとんど同じようなことを考えています(笑)

今の自分が置かれている状況が、よい状況であれ、悪い状況であれ、
それは自分が作り出したものではないですか。
人のせいですか。
人のおかげですか。
もちろん人生において自分の行動以外の事象が自分の置かれる立場を左右することは
いくらでもあるのは認める。
しかし、たとえば自分がいま不幸なのは組織が悪いからだとすれば、組織が変わらない限り
その人の人生は不幸のままですか。
原因を他に見出せば自分で解決できなくなりませんか。
自分ではどうしようもないですか。
そんな人生自分のものではないじゃないですか。
事実はどうかは知らない。
でもすべて自責と考えれば、愚痴を言う前に何をしなければ
いけないかわかってきませんか。